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「日本で初めての給食制度」のお話、後編。

前回のエントリでは、「学校給食臨時施設方法」の条文から日本で初めての学校給食制度について考察(おおげさ!)しました。

さて今回は、その当時の熊本県碩台小学校の「給食実施案」を紹介します(林勇記, 学校給食の新研究, 1945より、注釈以外はすべて引用。旧字旧かなは改めました。太字も引用者。)。ちなみに碩台小は戦後も給食で文部大臣賞を2度受けた、現存する小学校です。

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 給食該当者

  • 貧困による給食児童
  • 貧困による食物粗悪なる児童
  • 偏食による栄養不良児

給食の方法

○栄養上

1回分600カロリー(引用者注:大カロリー=kcal)を標準とする。主食には7分搗米130gを標準とする。蛋白質は体重1kgに対し1gを標準として動物性蛋白質の配合に留意す。灰分及ビタミンの配合に留意す。

○調理上

人参玉ネギ等の如く子供の嫌いな代表物等は機会あるごとに多く使用し、其の使用に際しては其の姿、味があまり露出せぬ様切方、分量、味に手加減をなす

材料はなるべく広くとるが大体に於いて季節の出盛りものをとりにがさぬ様に注意す。

○経済上

献立は前々週中に其の製作を了し検閲を得て実施に支障なきよう準備し且つ給食児童の家庭に配布す

材料の準備及割烹は本校高等科2学年児童を以て之に充て…

偏食の矯正及食事作法の訓練並に栄養に関する知識の向上、準備の都合等により家事室に於いて会食す。

会食に際しては全員集合の上「イタダキマス」の言葉をかわして食事し、終了後は「イタダキマシタ」と挨拶し各自後始末をして静かに退出す。

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現今の教育問題について考えるさいに、いかに歴史を顧みることが大切か痛感させられます。それはさておき、献立が気になるところですが、またそれは別のお話(いつになるんだw)。

「日本で初めての給食制度」のお話、前編。

日本の給食の大きなターニングポイントといえば、まず思い浮かぶのは、学校給食史上に燦然と輝く、山形県鶴岡町忠愛小学校での日本初めての組織的な給食(1889年(明治22年))、そして敗戦直後の占領軍の援助物資によるパンとスキムミルクによる給食ですが、今回のお話はこの二つの出来事の中間に位置する、国の事業としての学校給食制度が開始された時点のお話です。

なお、日本の給食制度は、当初は貧困児童・虚弱児童の救済を目的とし、その後、全校児童に対する学校保健の一部として組み込まれていきます。これらの流れはすべて戦前のものである、という点をまず押さえておく必要があります。

さて、上に述べた忠愛小も、貧困児童の支援と就学援助を目的として、篤志家や寺院による慈善事業として行われていたものでした。文部省による就学奨励規定による援助があったことは事実ですが、使途は食料に限られておらず、学用品や衣料の購入にも充てられ食事の提供を目的とはしていません。

そこで、就学率の向上(貧困によって教育を受けられない児童が多くいた時代です)と栄養の改善のために、時の文部大臣鳩山一郎により、訓令第18号「学校給食臨時施設方法」が公布されます(昭和7年)。少し長いですが前文を引用:

近時経済界の不況…の結果、学齢児童中、学校に於て昼食を欠き、或は甚しく粗悪の食事を摂るもの著しく増加し、為に児童の健康状態不良となり、惹いて其の就学の困難を招来せるものあるは、教育上洵(まこと)に憂慮すべきことなりとす…

…栄養は発育の基礎にして、活動の源泉なれば是等の児童に対し適当なる食物を給し栄養の改善を図ると共に、就学の奨励を策するは、現下社会の情勢に鑑み極めて緊要なる施設と云うべし…(旧字旧かなは改めました、太字は筆者以下同じ)

現状と目的が明確に述べられています。続いて「学校給食臨時施設方法」「学校給食臨時施設方法に関する件」では、具体的な施策の内容が記述してあります。かいつまんで紹介すると

  • どんな児童が給食を食べるの? ー
  1. 貧困で就学免除されているけれども、給食があれば就学できる子ども
  2. 栄養不良で欠席しがちな子ども
  3. 学校に来ても食べるものが無いか、粗悪なものしか無い子ども
  • 1食分はいくら? ー4銭を標準とする。
  • 直接指揮するのは誰? ーもちろん学校。と、保護者会。
  • 量はどれくらい? ー1日の所要エネルギーの3分の1

また、最近衛生面で給食が話題になってしまっていますが、こんなことが書いてあります。

食器、鍋、釜、調理場、食堂等は常に清潔を保たしめ防蠅其他衛生事項に留意せしむること

ハエは今も昔も給食の懸念事項だった模様。ちなみに貧困児童に対する給食はこの時代、日本だけでなく世界的の主要都市で行われていたようです。先進地はベルリンで、すでに給食センターらしきものがあり、1食10銭。日本の倍以上ですね(中楯幸吉, 欧米に於ける学校衛生の実際, 1928(昭和3))。

で、この訓令を受けて実際に供された給食がどんなメニューだったのか、とか、オペレーションマニュアルがどんなだったか、そして現代の給食との類似点が気になりますが、それはまた、別のお話。