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国会審議に登場した「教科書のカレーのレシピ」のお話。

雑誌『栄養と料理』の連載記事「レシピの変遷シリーズ」には,毎月,ひとつの料理のレシピが時代とともに移り変わる様子が付録のカードを交えて紹介されている。先月発売の8月号のテーマは「カレーライス」であった。実は,「カレーライス」は中学校の家庭科の教科書に長らく掲載されてきた定番教材のひとつである。

その「カレーライス」のレシピ,それも教科書における「カレールウ」のレシピが国会における審議で話題にのぼり,世間の注目を集めるという「珍事件」がかつてあった。昭和38年のことである。


事の発端は,昭和38年6月25日の参議院文教委員会での教科書無償措置法案に関する審議にあった。この法案の骨子は,その名の通り小・中学生が用いる教科書を原則無償とするというものである(当時,義務教育であっても教科書は実費負担であった)。同日の審議のなかでは,法案に関連して「都道府県教委があらかじめ候補となる教科書をいくつか選定し,さらにそのなかから各自治体などが最適な教科書を採択する」というシステムの是非が争われていた。

教科書のカレールウのレシピに関する言及は,都道府県教委が事前に選定を行い候補を絞ってしまうことで教師による自律的な判断の機会が失われるのではないかと懸念する参考人(中学校教諭)の発言の一部である。以下に,該当部分を引用する。

家庭科の教科書にこんな例がございます。それはカレーライスの作り方というのがございます。「ルウ」の割合いを見ましたところが,小麦粉と油の割合が,それぞれ各社みんなまちまちでございます。一体これは,どれが文部省特選ライスカレーかとみんな笑ったのでございます。それでは子供たちは,一冊の本を見て,自分たちが習っているライスカレーが一番いいと思っておりますから,水っぽいのや油っこいのや,カレーの多いのや,どんなのを食べさせるかわからない。若い先生たちに,君たちお嫁さんをもらうのに,どこの会社の教科書で習ったかよく聞いてからお嫁さんをもらわないと,えらいことになるから,教科書の選定をよくやったらいいということを申したわけでございます。 –  第43回国会参議院文教委員会議事録第27号より

この「珍事件」は東京新聞等でも報道され,広く知られるところとなった。記事には「教科書検定制度の欠陥をやんわり皮肉った場面では,与野党とも爆笑」したと議場の様子が描かれている。参考人の発言や報道のされ方からは,「家庭科の教科書」に対し,ある種独特の視線が向けられていることが再認識させられる。


ところで,当時の各社の家庭科の教科書には,どのようなカレールウのレシピが掲載され,どの程度相違があったのだろうか?さらに,教科書によっては「教科書検定制度の欠陥」というべき,誤った分量や製法が記されていたのだろうか

その答えは,参考人の発言の元ネタと思しき中山・井上(1964)による調査にあった(『家庭科』1964年1月号)。中山らは,当時出版されていた11社の検定教科書におけるカレールウのレシピを比較している(表1:重量で表記されてない出版社を除くなど,原著を一部改変した)。なるほど,小麦粉と油とカレーの割合,牛乳の有無など,一つとして同じレシピはない。そして分量だけでなく材料を加える順序やルウの延ばし方など製法についても,教科書により大きな違いがみられるのである。

表1 「一人分のカレールーの濃度」
 教科書会社 小麦粉(グラム) 油(グラム) カレー粉(グラム) 粉乳
B 7 10 1.5 200
C 10 マーガリン10 0.5
D 7 バター5 1.2 200cc
E 12 バター12 1 200cc
F  10  バター30 1 300cc  –
G  8  バター13  2  200cc  –
H  10 10 1 200cc 牛乳 20cc
I  9 6 1 200cc  粉乳 5グラム
J  10 バター10 2 150cc

 

続けて中山らは,小麦粉と油の重量比が① 1:1 ② 3:2 ③ 2:1 の3種類の場合について実験を行い,②の3:2の場合がより短時間で簡便にカレールウを作ることができることを示し,教科書のなかには初心者向けとしては不適当だと思われるレシピが掲載されてものもあると結論づけている。

一方,文部省(当時)で家庭科を担当する教科書調査官の任にあった小坪政恵の見解はこれとは真っ向から対立する。『産業教育』(1965年2月号)の「家庭科の教科書におけるレシピー」と題するコラムにおいて,小坪はカレールウのレシピが俎上に載った国会審議を取りあげ,「(カレールウにおける小麦粉と油の比率は)幅があってもよいもの」であるから教科書の記述に問題はないとする。そのうえで,次のように述べている。

現在の教科書には検定制度がとられているので,文部省特選のカレーライスなどというものはあるはずもないし,また,レシピーをそのように固定化して考えること自体が問題である。…一般的に雑誌などに掲載されているレシピーには,不正確で信用のできないものが多い。この点家庭科の教科書のものは…比較的信頼性の高いものといえる。- 小坪政恵(1965, p.66)

小坪が教科書調査官という立場上教科書を擁護せざるを得なかったことは想像に難くないが,料理のレシピについて,教科書の雑誌に対する優位性を主張している点は興味深い。例えば,当時の雑誌記事におけるカレールウのレシピと,教科書のレシピはどのように違った(あるいは違わなかった)のだろうか。


先述の中山・井上(1964)は,東京都の家庭におけるカレーライスに関する実態調査も行っている。それによれば,カレーライスを作るのに「固形カレールウ」を用いている家庭は約半数のようである。固形カレールウの登場は1950年だそうで,それを考えれば驚異的な普及だが,家庭のカレーライスをルウから調理することにまだまだリアリティのあった時代の話である。

さて,現代の家庭でカレーライスをルウから作ることは稀であろう。となると,家庭科の教科書からはルウのレシピは完全に姿を消したのだろうか。あるいは,国語教科書の題材文よろしく伝統を守り続けているのだろうか。気になるところだが,それはまた別のお話。

「2分の1成人式と家族教育」のお話。

2分の1成人式とその問題点

タイトルに掲げた「2分の1成人式」は、その名の通り2分の1成人=10歳を迎える小学生とその保護者を対象としたイベントで、例えばこのサイトでは、保護者の実に6割以上に参加経験があるとしているように、特定の教育団体の手に留まらず、広く普及しつつある。

その目的は「子どもの未来をかんがえ、親子の関係を見直すことで新たな門出に」することなどで、具体的には、

  • 保護者を招待し、児童への手紙のが手渡されたり、
  • 反対に子どもたちからの保護者にメッセージを贈ったり、あるいは
  • 児童による様々な発表が行われる

といった内容がメジャーとされている(参考:NHK総合での放映の紹介ページ)。

ところが、この「2分の1成人式」に対しては、児童・保護者の「満足度」は概ね高いという評価もみられる反面、以下のツイートのような指摘がある:

このような疑問や反対意見は、一見すると学校教育に対する素朴な嫌悪感の表明であると考えがちであるが、それらには回収しきれない本質的な摩擦が頻繁に起こっている可能性もある。

本エントリでは、同じく「家族」を扱う家庭科では、教員はどのような意識のもとに実践を行っているのか、また上に引用したような問題の発生を未然に防ぐためにどのような検討が行われてようとしているのかを、主として米国における「家族教育(家族生活教育=family life education)」における検討をもとに紹介する。

2分の1成人式と「家族教育」

家族教育」は、一般には、家族や家庭生活に関する教育をさす。この限りにおいて「2分の1成人式」は、家族教育の範疇と言える。

いっぽう、学校教育において「家族」が扱われるのは、「2分の1成人式」が行われるような総合的な学習の時間や特別活動、道徳の時間に限らない。我が国では、家庭科においても家族教育が行われている。

家庭科における家族教育に目を向けると、家庭科に含まれる衣・食・住・家族・保育の各領域なかでもとくに「家族」領域は教員が指導に困難を感じるといわれている。

例えば、日本家庭科教育学会「家族」研究特別委員会の調査によると、以下のような困難が挙げられている:

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この報告を含む多くの研究により、主な家族教育における指導上の葛藤は、政策的な帰結である学習指導要領上の文言や教科書といった外的要因に基づくものではなく、上に示したような

児童・生徒のプライバシー保護や、家族観の対立、価値の押しつけに対する懸念

など、倫理的な不安に起因するものであることがわかっている。

冒頭に挙げた「2分の1成人式」への批判のなかでも、上記の調査にみられる指導上の困難にも共通する論点としてプライバシー問題と家族観が挙げられることから、教科外の活動において家族教育を行う際には、このような原理的な困難性が(経験上会得している家庭科教員だけでなく)携わる教員に広く共有されるべきだということがまず第一に指摘できる。

さらに、仮に「2分の1成人式」がこのような倫理的な不安を無視する傾向を生んでいるならば、それは致命的な欠点であると言える。

プライバシー問題・家族観の対立と家族教育

ところが、そのような「2分の1成人式」の欠点を把握してもなお、10歳の子どもとその保護者が「子どもの未来をかんがえ、親子の関係を見直す」ことじたいは意義あることであり、また、「生活の向上と福祉の改善」を志向するホームエコノミクスとの共通性からも、家庭科教育・家族教育における既存の研究を生かす余地があるといえる。

やや天下り的だが、米国で用いられている家族教育のガイドラインとして以下のものが有名である:

後者に挙げられている倫理的ガイドラインには、例えば

  • 親と家族関係に与える影響力について自覚する[I-1]
  • 文化的信念、背景、および相違点を尊重し、育児に対する価値や目標の多様性に配慮して取り組む[I-3]
  • それぞれの子どもの家族の文脈において理解するよう努める[II-2]

のような項目がある。このような指針を常に確認しつつ接することの重要性は我が国でも今以上に認識されるべきであろう。

おわりに

プライバシーを保護し、家族観を尊重した上で「子どもの未来をかんがえ、親子の関係を見直す」という目的を達成するためには、

  • 上記のような指針に沿い、そして
  • 専門的かつ系統的な指導もとに

家族教育を行う必要があるといえる。

なお、本エントリの執筆にあたり、文科省初中局・片田江綾子氏の以下に列挙する論文を参照した。これらは我が国における家庭科教育における家族教育の現状を把握や、アメリカにおける先駆的な研究のレビューを含むものである:

片田江綾子, 家族教育における「倫理的な指導不安」—生徒のプライバシー保護と家庭科教員の不安をめぐる現象学的研究—, 日本家庭科教育学会誌, 56(4), 194-202, 2013.

また、家族教育についての系統的指導に関して参考になる書籍として

Carol Darling, Dawn Cassidy, Lane H. Powell, Family Life Education: Working with Families across the Lifespan, 3rd ed., Waveland Press, Inc., 2014.

が近刊である。が、この本についてはまた別のお話(ただ読んでないだけ)。