「家事能力の低い夫は、叱られるべきか?」のお話。

すでに昨年のことだが、日経DUALに武蔵大学助教の田中俊之氏のインタビュー記事「妻よ、家事能力の低い夫を叱らないで」が掲載され、反響を呼んでいる(例えば、Togetterまとめ「35歳より上の男性は家庭科を履修していないので家事能力低くても叱らないで」など)。

この記事を読む限りでは私は田中氏の主張には賛成しないが、上のTogeterタイトルに代表されるような、記事に対する批判の多くは扇情的なタイトルに引きずられている感を否めない。なぜなら、記事では

こうした状況(共働き夫の家事意欲が低い状況:引用者注)が生まれるのには、社会的背景があります。例えば中学校で女子は家庭科の授業を必ず受けますが、男子が家庭科の授業を受けるようになったのは1993年からです。つまり35歳より上の男性は、家事の基礎となるべき家庭科の授業をきちんと受けていないのです。

と共働き家事意欲が低い社会的背景のひとつとして、中学校における家庭科の履修経験の有無を挙げているだけだからである。

さておき、「家庭科履修の有無」は「家事に対する技能」に影響しているのか?関係があるのか?を論じるにあたり、

  1. 個々の生徒の能力は家庭科の授業によって向上するのか?
  2. 男女の能力の差があるならば、それは家庭科の授業によってどのように変化するのか?

という観点の切り分けの必要を感じる。すなわち「1. 個々人の絶対的な能力」と「2. 男女で比較した相対的な能力」の区別である。まず、1. の観点からみて、家庭科の授業が家事に関連する技能(ここでは簡単のために調理の技能に限ることにする)の向上に寄与するのか?

答えはもちろんYESである。少なからぬ中学生は肉や魚の加熱調理はおろか、包丁の持ち方、切り方、コンロや電子レンジや炊飯器の操作が全くできない。家庭で身につけるべき基本的事項かはさておき、現に身につけていないのである。どんな生徒でも多少なりとも家庭科の授業で上達が見られることから、1. の意味での能力は家庭科の授業によって向上するといえるだろう。

2.の観点からはどうだろう。家事に関する能力の男女差については、基本的な事実が共有されていないように感じる。実際には、成人の男女に対する家事の知識・技能に関する調査ではまず間違いなく男女に有意差が認められる。日本だけでなくアメリカでも、イギリスでも、スカンジナビア諸国でさえもである。「家事の技能については女性の方が優れている」のである。もちろん、その理由は単に男性が女性に比べて家事をしない、というだけである。

それでは彼ら彼女らが中学生・高校生の時分はどうだったのだろうか。これも、多くの調査が男女差があることを示している。さらに遡って、家庭科履修前の小学校中学年以下でも、同様の結果になることが多い。

注意すべきは、女児の方が手指の巧緻性に富む幼児期に始まり、中学校・高等学校、そして成人とその差が徐々に拡大しているようにみえることである。学校教育の経験もまた、この男女差を助長しているのかもしれない。「家庭科履修の有無」が「家事に対する意欲・技能」に関係ない、としたら、それは家事に関する技能を男女で比較した場合に、その差が(家庭科を履修してもしなくても)縮小されないという意味においてである。

したがって要約すると、家庭科教育は、1. 個々人の家事の能力の向上には寄与するものの、2. 家事の能力差に由来する夫婦間の摩擦には無力なのである。

もっとも、田中氏が指摘したかったであろうことは、男女別カリキュラムという制度自体が男性(の家事意欲)をディスカレッジしてきたという歴史であり、家庭科の授業によって家事能力がどうなるかは氏の論点ではないに違いない(!)のだが、またこれは別のお話。

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